今まで書き溜めていたモノをこっそりと後悔するブログ
現在『風の聖痕SS』連載中
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 綾乃、そして再会(ならず) それは一言で表すならば『蜘蛛』であった。 硬い骨格に阻まれた八本の足。 湿った闇の中で炯炯と光る複眼。 黒く濁った剛毛がその体中を包み込み、吐き出される腐った息と共に、カサカサと揺れるその胴体。のっぺりと下界を睥睨する欠けた月に照らされるその姿は、見る者全てに生理的嫌悪感を抱かせる姿を剥ぎ取るように曝け出す。 人そのものを丸ごと飲み込むような口腔からは、きちきちといった独特の凶つ音が聞こえ、長年の封印で腹を空かしていることを容易に想像させた。 それは一言で表すならば『蜘蛛』であった。 どれだけそれが異質で、どれだけありえない巨体であろうと、それは『蜘蛛』と呼称する他なかった。 「っひ、っひいい」 「下がって―――これより封滅を執り行います」 凛とした声が響く。 怯え竦む依頼人―――神社の神主を冷静な声で下がらせたのは少女であった。 腰まで伸びた黒い髪は、その戦意を表すかのように波うち、緋色に染まっていく大気が少女の整ったかんばせを強調している。 少女はその場にある闇全てを払う烈火をその身に纏いながら、黙然と醜悪な蜘蛛を睨む。そしてその後ろで待機していた豪快崩落を絵に描いたような男、大神雅人は、『蜘蛛』を興味深げに観察しながら少女に助言した。 「土蜘蛛か……お嬢、手を貸そうか?」 「結構です。それより神主さんをお願いするわ」 即座に返された子気味いい返事に苦笑しながら「じゃあ、ま、気をつけてな」と軽口を叩いて、雅人は依頼人を伴ってその場を離脱する。 それを背中で感じ取りつつ、少女は雅人の言葉にどこか拗ねたように呟いた。 「っほんっと、父さまも叔父さまも心配のしすぎなのよ……。 もっと、こう私を信頼してくれてもいいと思うんだけどなあ……まあ、いいか」 そして、その場には醜悪な蜘蛛の化け物と対峙する少女だけが残った。 この状況。闇そのものといったその怪異の前に立つ年端もいかぬ少女。見るものがいれば、あまりのその無防備さに絶句しただろう。人が決して叶わぬ理不尽に対抗するために創造した武具、あるいは防具等といった物を何一つ持たず、空手でそれと相対するその無謀さに。 だが、少女はそれらの不安無謀理不尽といった全てを蹴散らすかのような笑みを浮かべ、凪ぎ揺れる天の下、己の絶対を示すかのように宣告した。 「―――さて、それじゃあ始めましょう」 瞬間、灼熱の風が吹いた。 空気を、風を、空を、その視界全てを緋色に染める黄金の炎。 唐突に出現した幻想的としか言いようがない美しさを伴った炎は境内を飲み込みながら、波となって少女を包み込む。 たゆう。荒れ狂うその顎からは想像もつかないような緻密さを伴ったそれは、霧に包まれていくように少女の右手に集っていく。 そして、時間にして一秒もかからずに生成されたのは球であった。 黄金の火球。魔を滅する最高位の炎。 神より授かりし魔を凪ぎはらう極炎である。 「っ破!!」 解き放たれたそれは正しく弾丸である。 それにどのような物理法則が働いているのか、途中で掠ったはずの草や木には何の影響ももたらさず、加速するかのように一直線に標的に向かう。 だが、蜘蛛はその鈍重な外見からは想像もつかないほどの速さで八本の足を動かし反転。そして尻の先から『何か』を猛烈に吐き出した。 相打つ。 熱したフライパンに水をかけたような音をだして『何か』は蒸発、相克されるようにして少女の作り出した炎も消え去った。そう、相克である。蜘蛛の放った『白い粘液』が炎を迎撃したのだ。 その光景に少女は眉を顰めた。 「霊気の浸透を遮る能力を持った『粘液』か………っふん、なかなかにやっかいね」 少女の操る炎は、魔を滅し、魔を浄化し、魔を払う。それに特化した退魔の炎である。全事象の中に存在する精霊の力を借り受けて、行使するその術は妖魔にとって絶対である筈だ。 だが、そのはずが、この蜘蛛はどういった形であれその炎を相殺した。神凪の炎を相殺したのだ。かつての「まつろわぬ民」の思念・想念が実態化したモノ、それが俗に言う土蜘蛛である。 ということはどこか土着の神に依存し『定義編算』でもしたか、嘗て喰った人間の中に炎術士でもいたか――さすがは、封印されていただけのことはある、ということか。 だが、しかし (でも所詮は『この程度』。そう、手段はいくらでもある……) そう、先ほどの炎で相殺されるのならば更に力を注ぎ込めばいい。 それが駄目ならば―――内側からこの蜘蛛を滅ぼせばいいだけの話だ。 怒りも、混乱もなく、平静そのものといった顔で少女はその滅ぼすべき敵を見つめる。戦闘の最中で自己制御を失うことほど恐ろしいことはない。そのことを少女は身を以って体験していた。 そして少女は、己が取りうる戦術の中で、 最も効果的で確実性の高い方法を選択した。 「哈ッ!!」 鋭い呼気と共に放つ渾身の烈気。 少女の横隔膜を中心に炎が辺り一面へが発散される。 まず一歩目の踏み切りは左斜め前方、少女は体を横に傾けながら一気に跳躍する。そこから続けて中空に炎の壁を創造し『蹴りつける』。引き続き旋転して頭上へ。そのまま蜘蛛の上までを駆け抜ける。 それは豪速であった。一足で五メートルを越すその踏み込みは、剛の剣術――示現流の達人さながらの踏み込みであり、数十メートル離れていた筈の土蜘蛛まで、刹那の時もかからなかった。 雨のように襲い掛かってくる粘液を、左手に集中的に纏った炎で払い、あるいは体捌きだけで避ける。少女の瞳にはもはや蜘蛛だけしか映ってはおらず、外界のいかなる異変も少女を揺るがすに値しない。世界は少女を除いて遅延し、あるいは少女が時間という概念を踏破し――――そして、彼女の間合いに蜘蛛が入った。 キッシャアアアアアアア 蜘蛛はそれを好機と取ったのか、はたまた餌が舞い込んできたと思ったのか、歓喜の声を挙げ、その硬い骨格に護られた剛足を少女に振り下ろした。 しかし、少女は粘液の時のように、邪魔をするなといいたげに左手で無造作に払う。 そして少女を襲おうとしていた凶足はあまりにもあっけなく――――溶けた。 いや、寧ろ蒸発と表した方が正確である。 黄金の炎でコーティングされた左手は、炎の精霊を極限に制御させることによって収束された魔手である。全てを喰らい、消滅させるに余りある数万度の炎を左手に纏っているのだ。 このような土蜘蛛ごときの耐火能力など話になるはずもない。 あまりに予想外の事態に、本能的に土蜘蛛は危機を感じたのか、やぶれかぶれに粘液をばら撒いた。白い液体が宙を舞い、そこら中が、蜘蛛のテリトリーと変わる。 だが、 「遅い!!」 それすらも少女は予測の範囲内であったように左手を神速の速さで動かしつつ蜘蛛の懐に潜り込む。そして今まで温存していたもう一つの魔手である右手を、深々と蜘蛛の剛毛が生えた胴体に突き刺した。 ぞぶり。 右手は何の抵抗もなく、蜘蛛の腹を突き破った。同時に吹き出る得体のしれない液体。そしてわらわらと数十匹、いや数百匹の子蜘蛛が泡のように湧き出た。無虫唾の走る恐ろしき光景である。 だがそれらは少女の身体に触れる前に霞のように蒸発する。 少女の表情には嫌悪は含まれおらず。 目前の敵を滅する――ただ、それだけを胸に秘めている決意の顔である。驚嘆すべき自制心。そしてあまりにも完成された自己制御。少女はもはやこの歳にして戦闘者として完成されているといっても過言ではなかった。 「炎よ」 粛と呟かれた声が、精霊を召還し、少女を中心として境内にはあまりにも膨大な炎の精霊が集結する。炎として具象化されてはいないものの、境内の内部は、火山に匹敵するほどの精霊に埋め尽くされる。 うねる。炎が少女を中心に集う。 それら全てが少女の右手に集まるように、螺旋を描く。 蜘蛛だけをその因果すら残さず消滅させるように、極限まで精神を酷使する。 そして限界まで引き絞った弓を放つように、少女はそれを解き放った。 「―“滅”―」 瞬間、世界が白光に染まった。 ■ ■ ■ 後には何も残らなかった。 土蜘蛛の破片はおろか、撒き散らしていた妖気も跡形もなく消え去り、浄化されている。そして驚くべきことは、先ほどまでの人知を超えた戦いの余波は完全に見当たらなかった。粘液も、炎も、ここに妖魔がいたという痕跡は全て消え去り、神社らしい清浄な<気>が境内を満たしていた。 「お疲れ、お嬢。………しかし、いつ見ても見事なもんだ」 「ふふ、ありがと。叔父さま」 骨太な笑いを浮かばせながら、雅人は掛け値なしの賞賛を綾乃に送る。少女は少し得意げに、そして恥ずかしげにそれを受け取った。 そして、いつも通り叔父と共に帰路につく。 たわいもない雑談をしながら。 「武士がな、今度お嬢の仕事ぶりを見たいってごねてなぁ。まったく、参考になんかならないってのに」 「……えっと、武士さんって叔父さまの甥だったわよね?」 「ああ、兄貴の息子だ。…それがな、全然兄貴に似てないんだ。人格というか性質というか」 「へえ~、本当に?」 「おう、まったくだ。鳶が鷹を産んだってやつだな、ありゃ―――」 仕事を終わらして本家に帰る途中は少女にとって欠かすことの出来ない楽しみの一つだった。本家の中で姫様扱いをされて、誰しもが一歩引いた態度をとる中で、この叔父だけが別だった。 そもそも叔父――――大神雅人は、はっきり言って変わり者である。分家でありながら、宗家に匹敵する力を持ち、兄と当主の座を争うことを嫌いチベットの奥地まで数年前まで修行に出ていたというのだ。 そして、日本に戻ってからは『少女のお守り』以って任じている。少女の父である宗主の信頼も厚く少女にとっては家族も同然の間柄だ。 叔父の話はいつも刺激的で面白かった。 上海で開かれた裏暗黒料理界との死闘や、チベットの修行僧が得意とする空中浮遊の実演など実に楽しかった。 少女は何の疑問も思わなかった。 この楽しい、少女にとって暖かい日常がいつまでも続くことを。 少女は想像もしなかった。 己が妖魔を退治している最中に、神凪分家の三人が何者かによって襲われ、喰われ尽くされていたということを。 少女――――神凪綾乃は、夢にも思っていなかった。 あの男、八神和麻との再会などと。 ■ ■ ■ その日の朝、正門の掃除をしようとしていた女中が『それ』を見つけた。 『それ』は、最初はビニールのように転がっていた。 ちょうど目につくように、入り口の前に丁寧に広げられた『それ』。 ちょうど三つ。分けられたように三つ。 綺麗に綺麗に三等分されていた『それ』 『それ』は―――皮であった。 ずるずるとした皮。どこか着ぐるみのような顔。 肉も、骨も、内臓も、血も、全てを喰われ尽くした後に残った抜け殻。 殊更にズタズタに切り裂かれた衣類がそのままに錯乱してあろことがその惨劇を強調していた。 そう、それは慎治達の食われつくした後に残された―――人間の皮であった。 ■ ■ ■ 「ただいま戻りました、お父様!…………って、どうかしたの?」 威勢よく襖を開いた先は、一種異様な雰囲気だった。 どこか質感を伴った不安がその場に沈殿し、それに耐え切れないように集まっている術者達は顔を青くしている。後味の悪い余韻がそこには存在し、救われたように少女を見ている者すらいる。 (……いったい、何があったの?) 少女の属している一族―――神凪一族は、この世界で有数の、いや最強といって過言ではない炎術士の一族である。 それは屈強にして精鋭、烈火にして絶無の術者達。 この業界、退魔の世界では並ぶ者などいないはずの最強の炎術使い。 そのはずが、まるで幽霊を見たかのように怯え、まるでありえざる者が帰ってきたかのように不安に身を竦ませている。不可解だった。そう、何が起こったというのか。この強壮無比な術者達が怯えるような―――そんな恐ろしい『何か』。 少女には想像もつかなかった。 「報告はどうした、綾乃」 少女―――綾乃が思考に入ろうとしていたのを、奥の上座に座っている綾乃の父、神凪重悟がたしなめた。後ろに長く伸ばした白髪の入り混じった髪は、その積み重ねられた年月を表しており、顔は厳粛に引き締まっている。 現役を引退しているにも関わらず、そのどこにも老いを感じさせる衰えは一片たりとも見出せない、不思議な男であった。その言葉に綾乃は、己が今為すべきことを思い出したのか、その場に平伏した。 「―――失礼いたしました。解き放たれし妖魔、完全に滅殺いたしました」 「うむ、よくやった」 一族の中の術者としての報告を終えると、綾乃は父――重悟に質問を繰り返した。 「で、いったい何があったんですか、お父様」 「……鼻先で殺されたのに、誰も気がつかなかったか。確かに一大事よね」 重悟の話は驚くべきものだった。 分家とはいえ神凪の術者を、三人も殺すほどの腕をもった風術士。しかも、それを防ぐどころか気付きすらさせないほどの化物。凶行が行われた現場に残された妖気は恐ろしいほどに邪悪である。 正門の前でいやらしく曝け出された喰い残しから察するに、間違いなくこの術者はこれからも『続ける』つもりだろう。そう、その術者は疑いようもなく神凪の敵である。 滅するべき、敵。 「で、お父様。その風術士が誰か、見当もつかないの?」 「………疑わしいのが一人いる」 「…お父様?」 綾乃のその問いに、重悟は苦々しげに答えた。 それは、その可能性を信じたくはないような、己の罪悪を見つめるような―――そんな複雑な表情だった。 「和麻だ」 「……っえ、?」 今、父は何と言ったのか。 綾乃はその名を聞いた時、どうしてかありえないほどに動揺している己を自覚した。 「っ父様。今、なんて」 「……お前と六年前のあの日、継承の儀を争った和麻が今日本に帰ってきているのだ」 その言葉は真綿に染み込む水のように綾乃を震えさせた。 心臓が止まったかと思った。それほどに待ち焦がれていた。 「――――――」 ガタンと、唐突に綾乃は立ち上がった。 「あ、綾乃?」父のうろたえる言葉も耳に入ってはこない。入ってくるはずなどなかった。震えのような昂ぶりが体中を支配する。血が沸騰しているような感覚が駆け回る。 「……和麻が、帰ってきている」 あの男が、帰ってきている。 あの男が、帰ってきている。 あの男が、帰ってきている。 あの男が、帰ってきている。 ―――そう、帰ってきている。 思い出されのは―――涙。 初めての敗北に対する悔しさ。 反論できない無力な己への赫怒。 あの日―――継承の儀が終わった後、綾乃は悔しさに泣いた。 いや、悔しさではなかった。それはもっと大きな怒りであった。 和麻の言葉に何も言い返せなかった、無様な己の姿への怒り。 戦いの最中に手加減をされていたという屈辱。 綾乃の思い上がりを完膚なきまでに叩き潰した蒼風の使い手。 だが何よりも耐えがたかったのは、 最も許し難かったのは、 和麻の己を見る視線だった。 今でも、覚えている。 あの冷たい――まるで、石を見るかのような視線。 嘲笑も、侮蔑も、何の感情も含まれていない、真実どうでもいいといったような瞳。それは綾乃にとって和麻が路傍の石であったように、和麻にとっても綾乃は血の繋がった他人でしかなかったというだけのことだろう。 だから、思った。 今度は必ずあの男に、自分を、綾乃という私を認めさせる。 あの男が私に名を刻み込んだように、私をあの男の中に刻み込む。 あの日、和麻が誰にも気付かれず出て行った日に、そう己に誓ったのだ。 それがどういった感情であれ、綾乃にとって和麻という存在は無視することの出来ない大きなものへと変わっていった。 そして、その男が今、帰ってきている。 己の手の届く範囲に。目の映る場所に。 ―――和麻が帰ってきているのだ。 「…の、………綾乃!!」 飛んでいた意識が、重悟の叱責によって引き戻される。 「…っあ」 「お前の気持ちも分からんでもないが、少し落ち着け。まだ話は終わっておらんのだ」 「……ご、ごめんなさい。お父様」 綾乃は己の突発的な行為を恥じた。 重悟は、その娘の様子にこめかみをおさえつつ、横目で隣に座している厳馬の表情を盗み見る。かつての息子の話をしているにも関わらず、厳馬の表情はいつも通り子揺るぎもしなかった。 重悟は軽く溜息をついた後、話を続ける。 「その和麻だが、最近日本に帰ってきたらしい。八神和麻と名を変えてな。殺された慎治が、昨日仕事でぶつかって、見事にしてやられたそうだ。まあ当然ということかもしれんが……。慎治の話によるとこの六年でかなり腕を磨いていたようだな」 「和麻、さん、か……。やっぱり私達のこと恨んでいるんでしょうね……」 「――かもしれん…だが」 重悟はそこで、一度言葉を切ると、無表情に決意を続けた。 宗家に生まれながら、しかも、長男として生まれながら、受けるべき権利の一切を取り上げられた忌み子。それどころか、子供として約束される筈の幸せすら無かったであろう和麻。 「――だが、だからといって殺されてやるわけにはいかん。万一、和麻がやったのならば、あ奴の命を以って贖わせる」 たとえ、それが己の罪を殺すことになろうとも。 その先を重悟は言葉にはしなかった。そしてその言葉を聞いてなお厳馬は眉一筋動かさない。綾乃はその様子をちらりと目を向ける。今、厳馬は何を考え、何を思っているのか。和麻のことをどう思い、どう受け止めていたのか。綾乃にはまったく想像も出来なかった。少なくとも外面からは。 「それで、いったいこれからどうするんです?」 「ふむ。会って話しをして、全てはそれからだ。誰か使いを出すことになる」 「お父様、お願いがあります」 「…なんだ?」 重悟は何故か否な予感がしてならなかった。 「どうか、その使いの任、私に命じてください」 案の定、というべきか。重悟は頭を抱えたくなった。 綾乃の意思の固さを証明しているかのように、瞳は爛々と輝いている。その身体から溢れ出る気は静かでありながら、酷く危うい。 そう、それはまるで導火線に火をついた爆弾のような―――嵐の前の静けさ。元々綾乃は猪突猛進気味である。六年前の継承の儀以来、少しは成りを顰めるようにはなったものの、和麻と出逢うことによってぶり返してもおかしくはない。 「綾乃。まだお前が動く必要はない」 「でも、和麻さんがもし抵抗したとしたら、分家の者なら返り討ちにあうのが関の山だわ。犠牲を増やすことにもなりかねないし」 「…………む」 勿論、仮定の話だけど。と綾乃は言う。 重悟も、綾乃が主張する意見の正しさは承知していた。だが、綾乃にとってそれは口実に過ぎないということもまた理解していた。この娘は力で物事を解決するのを好むくせに、何故かこのような場面では口が回る。 それでいてなお、己の意を押し通すと決めたら梃子でも動かない頑固さを持ち合わせているのだから始末に終えない。幼いときはもっと天真爛漫で、標的を決めたら一直線に突っ込んでいく性格をしていたはずなのに。 ………いったい、どこで育て方を間違えてしまったのだろうか。 重悟は今度は重く溜息をついた後、答えた。 「…分かった、認めよう。だが条件がある。連れとして雅人を連れて行け。そして決して和麻と闘おうとするな。いいか、『決して』だ。たとえ和麻が犯人だとしても、だ。これが守れないようならば承諾はできん」 「……はい」 その条件に不満があるのだろう。綾乃は不承不承頷いた。 仕方ないかと、重悟は考える。恐らくここで綾乃の意見を退けても、さっきの様子であれば勝手に突撃しかねない。それならば、条件をつけて制御した方がマシというものだ。お守りとして雅人をつければ無茶もできまい。 取り直すように、重悟はねぎらいの言葉をかけた。 「ならば今日のところはもう休め。一仕事終えたばかりで疲れているだろう。…下がっていいぞ」 「………分かりました。では、これで」 未だ納得した様子ではなかったが、綾乃は父の言葉に従った。一礼すると速やかにその場を離れる。作法通り襖を閉めるまで、一度も重悟と目を合わせないあたりに、彼女の抱いた不満が如実に表されていた。 「まったく…………我侭娘が」 その溜息混じりに呟かれた言葉には、確かに娘への愛情が存在していた。 だが、それ以上にこれから起こるであろう問題を憂う、組織を束ねる長としての苦悩が切に感じられた。 ■ ■ ■ 「――此処ね」 「…ああ、そのようだ」 綾乃は剣呑な響きにも感じられる声で呟いた。 いや、彼女にとって寧ろそれは正確といっていいかもしれなかった。 目前にある屋敷を戦闘者の視点から観察する。 その家はなんら変哲もない武家屋敷であった。 神凪本邸のように大きすぎるということも無く、かといって小さすぎるというわけでもない。閑静な住宅街の一角に存在するその屋敷は、調査によると最近買われたものらしい。どこか、暖かな雰囲気が感じられるその屋敷は周囲と隔絶することもなく、寧ろ自然に溶け込むようにしてそこにある。 (…………まるっきり普通の屋敷じゃないのよ) 声にこそ出さなかったが、綾乃は拍子抜けしていた。 普通。ありえないほどに普通。確かに屋敷としては良い部類に入るだろう。交通の便も良く住むのならば理想的である。垣間見える庭も思っていたよりは広い。だが、それだけだった。 霊穴の上に立てられているのでもなく、何かしら結界が張られているというわけでもない。かといって、侵入者を撃退する術も見当たらず、寧ろ来訪する者を歓迎するような穏やかな感じすらする。 いけない、と綾乃は頭を振った。 これはもしかしたら擬態のような者なのかもしれない。 焦るな、怯えるな、見間違えるな。この屋敷には紛れも無くあの男が住んでいるのだ。己の制御を失うな。今ある情報に踊らされるな。焦りは容易く己を狂わせ、怯えは力を鈍らせる。己の目に映るもの。己の内に沈む知のみを頼りとするな。 ―――そう、此処にはあの男が住んでいるのだ。 随伴していた雅人は、その綾乃の様子が心配になったのか、嗜めた。 「……お嬢。落ち着け。俺達は一応話し合いに来たんだから」 「でも、油断はしないほうがいいでしょう?安心して、叔父さま。馬鹿な真似はしないつもりだから」 綾乃は決して自己を見失うような醜態はさらすつもりはなかった。 此処にはあの男がいるのだ。油断などできようはずがない。 「それじゃあ、行くわよ………」 玄関の表札を確認する。 真新しい木版には達筆な字で『八神』と簡潔に示されていた。 息を整える。いつでも己を保てるように。 無理に冷静になるのではなく、己の自然体を維持する。 ごくりと息を呑んで、覚悟を決める。 あの男ともう一度対峙する覚悟。 あの男が”敵”であるならば―――私の誇りと、この身に流れる神凪の血に誓って滅ぼすという覚悟。 綾乃は、その全てを抑えるように、 あるいは昂ぶりを解き放つように呼び鈴を鳴らした。 そして数十秒後、門を開いて現れたのは、 そこにいた者は―――栗色のロングヘアが光に映える、十歳程の美しい少女であった。 「―――だれ?」 少女が軽く首を傾げる。 どこか俗世から離れたような、そんな不思議な雰囲気を持つ少女。 綾乃を太陽とするならば、粉雪のようでありながら陽だまりのような―― そんな純白の透明感ある少女。 それが綾乃と少女―――悠里の最初の出会いであった。 PR |
プロフィール
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nobu
性別:
男性
職業:
学生
趣味:
読書とプログラム(java)
自己紹介:
現在「風の聖痕」の二次創作を連載中。色々と荒削りなヤツですが楽しんでもらえたなら幸いです。 メールはこちらに nobsute928@yahoo.co.jp
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